書家 龍和の視点で、知られざる書の名品をご紹介します。
坂本龍馬といえば、言わずと知れた幕末のヒーロー。
型にはまらない自由な思想と行動力で、新しい時代の扉を開いたとして、
多くのファンの心を魅了してやみません。
映画やドラマ、小説や漫画で描かれる龍馬は、
”かたやぶりな風雲児”のイメージが定着しています。
また、現存している肖像写真もそのイメージをさらに濃くしています。
また、龍馬という男は、手紙をまめに書いたらしく、
「やはり幕末の風雲児の書である」
と語られることが多いのです。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。
それを龍馬の書から見ていきたいと思います。
ます、先に話題にした手紙についてですが、
龍馬の手紙は当時の武士としては珍しく、ざっくばらんであるといわれます。
それもそのはず、姉・乙女にあてたごくごくプライベートな手紙であったからでしょう。
かな文字を中心に口語のような表現で書き進められた手紙は
踊るような筆致です。
おそらく龍馬は筆管の中央から上の方を軽く握って、
速筆で一気に書きあげたのだと思われます。
メモ書きのようなものでしたでしょうから、
お世辞にも美しい書とかいうものではありません。むしろ悪筆に見えます。
家族にあてた私信ですから、この手紙は、
「志士」としての顔というよりかは、
「末っ子」としての顔で書いているのはないでしょうか。
余談ですが、10年以上前に京都国立博物館で催された
龍馬展を見に出かけたことがあります。
龍馬ゆかりの品々が数多く展示されている中でひときわ印象的だったものが、
龍馬が使っていた「紙入れ」でした。
古来、武士は、懐に紙をいれるのが習わしでした。
それは顔を拭いたり、鼻をかんだり、手紙をしたためたり、お菓子を包んだり、
はたまた刀の血糊を拭いたりという広い用途がありました。
今では「懐紙」という紙のサイズを表す書道界の専門用語にその名残があります。
この懐紙はそのまま懐にしまうか、「紙入れ」にしまうか、のどちらかでした。
龍馬の場合、紙入れにしまったのでしょう、
その紙入れが美しく花が刺繍されたもので、とてもおしゃれな印象でした。自分で買ったのか、おりょう夫人にもらったものなのかはわかりません。
中岡慎太郎は、
「坂本は武士としては珍しい、なぜあんなにめかすのか」
といって龍馬のおしゃれを茶化しました。
武士は質素倹約が良しとされ、身の回りは質素にするのが常でした。
写真にみられる龍馬は見る限りよれよれの着物と袴を着ていて、
厳しい目つきをして、あまりめかしているようには見えないのですが、
懐の紙入れは粋でおしゃれなものを持ち歩いていた。
それがこの男の茶目っ気を感じさせ、思わず笑ってしまいそうになります。
龍馬の写真に写る懐手は、よく拳銃とか万国公法を持っていたとか言われますが、
私は、実は「紙入れ」を触っていたのではないかと思います。
でも、「紙入れ」では龍馬のイメージに合わないから、だれも言わないだけです。笑
話を戻します。
では、手紙ではなく、改まった書というのは残っていないのか。
それが、意外と残っているのです。
「なんでも鑑定団」という番組に龍馬の書いた掛け軸が出されたそうです。
ある人が25万円ほどで購入した掛け軸を鑑定したところ、
龍馬の真筆であるということで、2000万円ほどの価格がつけられたそうです。
その書は、明時代の儒学者、王陽明の漢詩を書いたものです。
内容はこうです。
‐―――――――――――――
「泛海」
險夷原不滞胸中
何異浮雲過太空
夜静海濤三萬里
月明飛錫下天風
「海に泛(うか)ぶ」
險夷(けんい) 原(もと) 胸中に滞(とどま)らず
何ぞ異ならん 浮雲の太空(たいくう)を過(す)ぐるに
夜は静かなり 海濤(かいとう)三万里
月明(げつめい)に錫(しゃく)を飛ばして天風を下る
現代語訳
逆境であれ順境であれ、それらに心を煩わせることなどない。
それらは、あたかも浮雲が空を通り過ぎるようなものなのだから。
静かな夜の大海原を、月明かりに乗じて錫杖を手にした道士が天風を御しながら飛来する、
まるでそんな広大無碍な心境である。
(『真説「陽明学」入門、黄金の国の人間学 増補改訂版』参照)
―――――――――――――――――――――――――――
龍馬が育った土佐藩は、陽明学(王学)が盛んで、
幕末は陽明学ブームであったといわれます。
龍馬の志士仲間たちも陽明学を信奉し、
朋友関係を大切にしたといいますから、龍馬自身も
陽明学に精通していたとみて不思議はありません。
また、その書の書きぶりはいわゆる”自由人”としての書き方ではなく、
王羲之書法の古式にのっとった厳然な書体を並べ、明末期の書家、
傅山(ふざん)の書きぶりを彷彿とさせます。
また墨のにじみカスレ具合にも変化があり、時間の流れを
イメージさせる構成になっていて、相当訓練を積んだ書だと思います。
正直、龍馬の書はもっと評価されてもよいのでは、と思います。
龍馬の改まった書は、現代に定着したイメージにそぐわないからなのか、
世の中に紹介される機会があまりありません。
この時代の武士のたしなみとしては漢籍に通じ、
漢詩漢文を能くし、書もかけなければならない、
また、剣もつよくあらねばならない、
相当なエリート教育を受けたといえるでしょう。
ですから、坂本龍馬をして、現代人ウケする
「自由人」とか「風雲児」とかいう呼び方を簡単にあてはめるのは、
少し的外れのような気がします。
この書を見る限り、龍馬という男は、
古式にのっとった武士であり、教養人であり、常識人であるといえます。
同郷の武市半平太などは文人として識見高い教養人として紹介されることがありますが、
龍馬も勝るとも劣らない教養人であったのだと思います。
で、なければ、藩の重役級がそろう一流の志士仲間たちと渡り合うことなど、
できっこありません。
なるほど、ベースにこれだけの蓄積があったからこそ、
あれだけの仕事ができたのでないでしょうか。
当時の武士階級では当然としてのたしなみがあり、
そのうえで奇策や奇抜な行動をとることができた。
しかし、龍馬という男が歴史に登場するのは、
彼の人生の内のほんのひと時の出来事にすぎません。
龍馬の生きざまを形造ったのは、武芸や和歌、書芸をたしなんだ
日常的な時間の中にあり、それはごくごく「普通の時間」であった。
しかし、その「普通の時間」をごく当たり前に積み重ねていくことが、
幕末のヒーロー、「坂本龍馬」を形造った。
当たり前を当たり前に積み重ねる、
非凡とは平凡な仕事の非凡な積み重ねである、
そういうことをこの龍馬という男は、私たちに教えてくれているような気がします。