— 無常を受け入れて生きるということ —
現代の日本では、「死」について語る機会はあまり多くありません。
日常の会話の中で死を話題にすることは、どこか縁起でもないもののように扱われます。
しかし、ほんの少し昔まで、日本人にとって死はもっと身近なものでした。
江戸時代の人々も、疫病や災害と隣り合わせの人生を送っていました。
戦国時代の武士は、常に死を覚悟して生きていました。
この世に生まれても、大人になれずに死んでしまうことも多くあったのです。
そしてその中で、日本人はある独特の世界観を育ててきました。
それが 「無常観」 です。
無常という思想
日本の古典文学『平家物語』は、次の言葉で始まります。
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
すべてのものは移ろい、永遠に続くものはない。
これが日本人の世界観の中心にあります。
春に咲く桜も、
やがて散ります。
桜の花は短命です。咲いた!と思った次の瞬間には散り始めている。
つまり、いのちの終わりを意識させる花。
終わりを知っているからこそ、今この瞬間を愛しく思える。
だからこそ美しい。
この感覚は、日本文化のあらゆるところに現れています。
・茶道
・俳句
・能
・和歌
そして 書 もまた、そのひとつです。
日本人にとって死は終わりではない
日本人の死生観は、西洋とは少し異なります。
西洋では死は「終わり」として語られることが多いですが、
日本ではどちらかというと 「還る」 という感覚があります。
祖先のもとへ還る。
自然へ還る。
お盆やお彼岸にご先祖さまを迎え、
また送り出す習慣にも、その思想がよく表れています。
つまり死は、完全な断絶ではなく
いのちの循環の中のひとつの節目
とも言えるのです。
人は最後に言葉を遺す
人は人生の終わりに近づくと、あることを考えるようになります。
それは
「何を遺すか」ということです。
財産や地位ではなく、
言葉を遺したいと考える人は少なくありません。
親が子に伝えたい言葉。
人生を振り返って生まれる言葉。
感謝や祈りの言葉。
昔の武将たちも、辞世の句という形で言葉を遺しました。
言葉は、時間を越えて人の心に残るからです。
その言葉に触れると、その人を思い出す。
その人の魂につながる、ということです。
つまり、言葉には何か不思議なチカラが宿っている、
ということを、私たちは古くから考えてきたのではないでしょうか。
言葉を「書」として遺す
言葉は紙に書けば残ります。
しかし、それを 書として残す
という文化も日本にはあります。
古くは
・経文
・墓碑
・供養塔
など、多くの場面で書は祈りのカタチとして使われてきました。
筆で書かれた文字には、
その人の想いが宿ると言われます。
だからこそ、書は単なる文字ではなく
祈りのカタチ でもあるのです。
人生の言葉を一枚の書に
人生の中で生まれた言葉。
大切な人へ伝えたい言葉。
未来へ残したい想い。
それを一篇の詩としてまとめ、
一枚の書として残す。
そうした形で制作しているのが、書家 龍和による
「おくりうた」 です。
人生の想いを言葉にし、書として残す。
「おくりうた」は故人を偲ぶ供養の書になるのですが、
それは、日本人が古くから持ってきた
言葉と祈りの文化の延長にあるものかもしれません。
もしご興味がありましたら、こちらをご覧ください。