— 人生の最後に残る、本当の想い —
人は、人生の終わりが近づいたとき、
何を思うのでしょうか。
これは多くの人が一度は考える問いですが、
実際に「その場」に立った人たちの言葉には、
ある共通点があります。
人が最後に語る後悔
看取りの現場に関わった人たちの記録によると、
人生の最後に語られる後悔には、ある傾向があります。
それは、次のようなものです。
・もっと家族と時間を過ごせばよかった
・仕事ばかりの人生だった
・自分の気持ちを抑えすぎた
・やりたいことを後回しにした
・感謝を伝えていない人がいる
どれも、特別なことではありません。
むしろ、誰もが日常の中で抱えていることばかりです。
人は何を大切にしていたのか
ここで見えてくるのは、
人が本当に大切にしていたものです。
それは
・人との関係
・愛情
・感謝
・時間
お金でも、地位でもなく、
人とのつながりです。
人生の最後に、
人はそこへ戻っていきます。
逆に言えば、お金も地位もあの世には持っていけない。
カタチがないもの、
人は死んでいくとき、魂の経験や記憶を携えて、
次の世界に旅立っていく・・・
とも考えられるのかもしれません。
言えなかった言葉
多くの人が後悔するのは、
言えなかった言葉です。
ありがとう
ごめんなさい
大切に思っている
たった一言で伝えられることが、
なぜか後回しになってしまう。
そして、そのまま時間が過ぎていく。
伝えきれかなったこと、
どうしても言えなかったこと、
あなたには、そんな言葉がありませんか?
人は思っている以上に、言葉を大切にする生き物ですし、
思っている以上に、言葉をないがしろにする生き物です。
日本人は言葉を遺してきた
昔の日本人は、人生の終わりに
言葉を遺しました。
武士はどうでしょうか。
常に生と死の背中合わせの毎日の中、
「いつ死んでもよい」、その覚悟を決めて、
辞世の句という、多くは短歌という形で、
自分の人生や、後世に伝えたい想いを
言葉にしたのです。
もっと近い世代で言えば、
戦前の軍人さんは、出撃前に遺書を書いていました。
軍人さんだけではありません。
現代を生きる私たちでも、
遺書を書きます、遺言をのこしますね。
余談ですが、私は10代のころ、ある人に言われ、
「遺書」を書いたことがあります。
決して、「死のう」と思って書いたのではありません。
命に限りがあるということを知り、
自分の人生を振り返って、たとえば親や兄弟、
お世話になった多くの方々への感謝の気持ちを整理するために、
書いてみろ、というわけです。
命に限りがある、ということを意識したら、
いろいろな感情が芽生えてくるものです。
私は書きながら、涙を流していたことを思い出します。
あの経験を10代の多感な頃にできてよかったのかもしれません。
今40代に入って、なおさらに思います。
人生80年として、今の私は折り返し地点に差し掛かっているといえます。
残りの人生を意識する年齢になっていると感じています。
10代のころよりも、数段、死を意識することがリアルになってきています。
そんなこと、考えても仕方ないじゃないか、
今を楽しく生きればいい、
そう思う方もいらっしゃるでしょう。
実際私もそうであると思います。
ただ、生と死に向き合うことで、
今を悔いなく生きることにつながると思うのです。
そういう一瞬一瞬を積み重ねて生きている人は、
いざ、死の床についたとき、
「死ぬ前に後悔」
ということが限りなく少なくて済むのではないでしょうか。
そして、逆もまたしかり。
ただ漫然と日々を過ごして生きているから、
いざ死の床についたとき、
「後悔」
が頭をもたげる。
いや、頭をもたげる、などという次元ではありません。
心に、魂に、重くのしかかってくるという表現が近いのかもしれません
あなたは、どちらがよいですか?
人生の最後に残るもの
人生の終わりに残るものは、
それほど多くありません。
けれど、確かに残るものがあります。
それが
言葉です。
言葉は、人の心に残り、
時間を越えて生き続けます。
もし今、
誰かに伝えたい言葉があるとしたら。
もし人生を振り返って、
一つだけ遺すとしたら。
それは、どんな言葉になるでしょうか。
人生の想いを言葉にして残す。
それは、未来へ手渡す
ひとつのかたちかもしれません。
