書家 龍和の視点で、知られざる書の名品をご紹介します。
毎年8月16日、京都で五山送り火が行われます。
五山の送り火の歴史は古く、
一説には平安時代とも江戸時代ともいわれておりますが、定かではありません。
今日では地元住人である保存会の方々の並々ならぬ努力によって
維持運営がされている、生きた文化財といえるのではないでしょうか。
余談ですが、京都では”五山送り火”という呼び方が主流で、
”大文字焼き”と呼ぶと、「ああ、この人はシロートさんやな」と思われるかも
しれませんので要注意です。(笑)
三つの漢字がありますが、文字は形がとれていて、よい書だと思います。
代表ともいえる、「大」は誰の字がもとになっているかは諸説あるようです。
大文字の起源・筆者に関する諸説 (wikipediaからの引用)
近い時期に発刊された史料であるにも関わらず、
大文字の源・筆者については史料ごとに差が見受けられる。説の初出順、発刊年順に列記する。
- 大の字は青蓮院門主が画いたものである。(『洛陽名所集』・『出来斎京土産』)
- 大の字は三藐院(さんみゃくいん)(近衛信尹(このえのぶただ)を指す)が画いたものである。(『案内者』)
- 大の字は弘法大師が画いたものである。(『山城四季物語』・『雍州府志』・『都名所車』・『都名所図会』など)
- 大の字は相国寺の僧・横川景三が画いたという説と、弘法大師が画いたという説がある。(『日次紀事』)
- 大の字は横川景三が相国寺に対して大の字が正面を向くように考慮して画いたものである。(『菟芸泥赴』)
- 大の字は足利義政の命により、横川景三と芳賀掃部が画いたものである。芳賀掃部は義政の臣であると同時に横川景三の筆道の弟子でもあった。(『山州名跡志』・『山城名跡巡行志』)
筆者について、史料上の初出は『洛陽名所集』の青蓮院門主説であるが、
三藐院説、弘法大師説と続き、横川景三説が登場するまで18年の年差しかなく、
発刊時期の近い史料に多くの説が混在している。『雍州府志』では、
誰々が画いたという俗説が多く 存在していることについて、
謬伝(誤って広まった噂話)ではないかとしている。
注目すべきは書体
大の文字に関して誰の筆によるものか、
ここまでくるともはや誰の書いた字がもとになっているか、
ということにはあまり意味が見いだせないような気もしてきます。(笑)
そこで文字の書体、に注目してみます。
面白いことに「妙」の字についてみると、この字以外は楷書で「妙」のみ草書です。
つくりの「少」の横に小さな点がありますが、これは草書の筆の勢いから生まれる点です。
楷書で書いているものであればこういった点は書かれることはありませんし、
おそらくこの原書を書いたものを忠実に再現したとみられ、
この細かい筆の動きまでを再現するのが、まさしく「妙」ですね。
一説によれば、「妙」の字は、徳治2年(1307年)に日蓮宗の僧・日像(にちぞう)が
「南無妙法蓮華経」の題目から「妙」の字を書き、
それを基に地元で山に点火を始めたのが起こりとされています。
「法」は下賀茂大妙寺の日良(1590~1660年)が書いたといわれています。
「妙法」という言葉が並ぶのに300年ほどの時代の開きがあるわけで、
壮大なスケールで描かれてきた芸術作品といえますね。
送り火はお盆にかえってこられた先祖の霊をお送りする明かりです。
ご先祖様に感謝です。